文部科学省中央教育審議会特別部会は5月13日、教員の働き方や処遇の改善についての審議結果をまとめた。
これに対し、現役の教員などからなる給特法のあり方を考える有志の会は「0点だ」と批判した。
定額働かせ放題引き続き
給特法により定められた一定額のみが支給され時間換算されない残業代問題については、現行の4%を10%に引き上げる方針が示された。
引き上げられれば約半世紀ぶりの改正となるが、相変わらず残業時間は考慮されない定額働かせ放題の仕組みは変わらない。
勤務間インターバルを新たに盛り込む
教員の健康確保のため、11時間を目安とする勤務間インターバルなる考え方が新たに盛り込まれた。
勤務終了から翌勤務開始までに極力11時間を空けるように勤めるとするもので、インターバル確保のため業務の自宅への持ち帰りも控えるように求めている。
その他では教諭と主幹教諭の間に中堅ポストを新設、学級担任や管理職の手当改善、教科担任制を小学3,4年生まで拡大、支援スタッフの配置の充実なども入る。
原則として残業を命じない
さらに審議まとめには、公立学校の教員には原則残業を命じないとされている点があらためて追加で明記された。
問題の本質はコスト意識
この審議まとめに感じる違和感の原因は明白で、教員側が問題としているのは「業務量の超過」である。教員一人あたりの業務量が多すぎるせいで残業を強いられ、私生活を犠牲にせざるを得ず、また多すぎる雑務に追われて最も優先すべき授業や生徒への対応が疎かになっていく。そして肉体や精神を病むケースが増えているのである。
この業務量の超過の原因となっているのが給特法の所謂定額働かせ放題による管理側のコスト意識の低さなのだから、時間換算の残業代を支給することで残業の実態を正しく認識し、適切な人員の確保や業務内容の整理を行うといった”当たり前のコスト意識”を持ってくれと訴えているのである。
一般的に残業の割増賃金を考慮すれば、人手を増やして定時内に業務を終えるほうがコストは下がる。また一人あたりの業務負担が減ることで疲労による効率ダウンを回避し、生まれた余剰時間によって本来やるべき生徒への対応や授業のクオリティを上げる=生産性が上がることも期待できるということくらい誰でもわかる。
それなのに文科省から出てくる案が手当の4%から10%への増額なのだから、”0点”と評されても仕方がない。この問題の本質としては金が欲しいのではなく時間が欲しいのだ。「金をやるから我慢しろ」では絶対に解決しない。
(時勢的な賃金アップは必要だが、この問題とは関係ない。)
具体的な検討に期待?
0点と評された文科省が今後の具体的な検討でどこまで点数を伸ばせるかはわからないが、どこまで行っても努力義務的な内容に終始するようであればずっと0点は変わらないだろう。
“極力”11時間のインターバルなど「生徒のために」ブッちぎってしまうのが教員の性であるし、”原則として”残業を命じないと言っても「やってる感を出したいだけ」の無能な校長が無駄な仕事を増やし続けたらそれはもう事実上の残業命令なのである。
具体的にと言うならば、残業はすべて時間管理した上で常態的な業務超過の責任をはっきりと校長に課すべきであるし、教員の業務分掌を精査しなおして教育の本質から離れる雑務は支援員に半ば強制的にでも割り当てるべきである。これらの経営手腕に乏しい管理職の力不足が原因なのであれば、民間から経営能力の高い人材を登用することだって出来るはずである。
「生徒のために」のやりがいを古い慣習で使い捨てることが無いように、文科省には是非とも目を覚ましていただきたい。
教員の質
最後に、もしも給特法の改正が適切に行われたならば、教員側もふるいにかけられることは覚悟しておいて欲しい。
適切なコスト意識のもとで時間管理が徹底されれば、教員各個人の業務効率も当然顕になる。残業し放題の現状に隠れてダラダラと仕事をするクセなどはすぐに見抜かれるし、能力評価が適正に行われるようになれば出世は年功序列ではなくなっていく。
そうしたなかで切磋琢磨し、教員の質が上がり、賃金が上がり、教員を目指す優秀な人材が増えるという好循環を生み出してほしいと切に願っている。