長引く不況で日本経済は先進国で唯一30年間成長できなかった国とまで言われています。そして、それでもなお増税や社会保険料の引き上げ議論は後を絶たず国民負担は増すばかり。すでに日本人は稼いだお金の5割を何らかの形で国に吸い取られるという異常事態に突入しています。
減税による消費活動の活性化が経済回復のために必須であることは誰の目にも明らかなのに、なぜ政府与党は増税を繰り返すのでしょうか。そこには、日本の政治システム上回避できない大きな欠点が立ち塞がっています。
国民はリーダーを選べない
日本は国政のトップである総理大臣を代表民主制によって選出します。
日本における代表民主制とは、主権者である国民が代表者たる国会議員を選挙によって選出し、国会議員が国民を代表して総理大臣を選出するという仕組みです。代表民主制は主権者である国民が国政のトップを直接選出することができないため、間接民主主義とも呼ばれます。
なによりも選挙で勝つことが最優先
総理大臣になるためには、当選回数を重ねながら党役員や大臣のポストを歴任して国会議員の中で出世を繰り返さなければいけません。そのため国会議員にとって何よりも選挙で勝ち、議員であり続けることが最優先事項となります。
選挙で最も確実に勝つ方法は、与党である自民党に所属することであり、大きな後ろ盾団体の支援を受けることです。
世襲議員が圧倒的有利
例えば世襲議員は、生まれながらにして親が築いた強固な地盤、地元票、支援団体を引き継ぐことができるためスタートの時点で非世襲議員に比べて圧倒的に有利な立場に置かれることになります。さらに当選後も、親の世話になって権力の座についた重鎮たちから「お父様への恩返し」と言わんばかりに重用され、出世待ちの序列でも優遇されることになります。
実際日本の総理大臣は、世襲議員が大臣ポストを何度か経験した上で早くて60歳前後で総理大臣に上り詰めるというケースがほとんど。あらゆる面で優遇された世襲議員でこれですから、非世襲で叩き上げの議員が実力だけで頑張っても70〜80歳で初の大臣ポスト止まり。これだけでも快挙と言えるでしょう。
国民を向く必要は無い
ここまでの内容で、国会議員が出世して総理大臣になるための要素のなかに「国民」は含まれません。国会議員は自分を支援してくれる地元組織や団体、そして権力を持つ党の重鎮へ向けたアピールができれば良いということになります。むしろ「国民のため」に起こした行動や施策が党の意向に反してはイケませんから、悪目立ちしないように大人しくしておくほうが得策とさえ言えるでしょう。
税の分配によって恩返し
では国会議員は選挙に勝つためにお世話になった支援団体へどのような恩返しをするかといえば、税の分配による利益の提供ということになります。
例えば、自民党の二階幹事長(当時)は全国旅行業協会の会長を努めており、コロナ禍に於いて疲弊した経済回復の施策として「Go to トラベル」事業を展開して旅行業界の利益に貢献したことはあまりに有名です。この際も宿泊先と旅行客の直接の手続きではなく旅行会社の予約システムと連動させるという一見不自然な形式にすることで、より多くの関連企業に中間マージンをばら撒いたという見方ができます。
利益を享受した業界団体は当然「有事の際はまたお願いします」という意味を込めて献金や票集めに協力してくれるわけですから、Give and TakeでWin Winの関係であると言えるでしょう。
さらには、出世に有利な世襲議員はこの恩返しのシガラミがことさら強い環境にあるということですから、世代を超えた強い繋がりを持って全力で支援団体の期待に答えていくことでしょう。
国民は当たり障りのない原資
国が行う事業には当然税金が投入されるわけで、ばら撒くためには集めなければいけません。ですが、Aの業界に配るためにBの業界から集めたのではBの業界から反発を受けることになります。さらには、もしかしたらB業界は同じ党の重鎮を支援している団体かも知れないと考えれば、おいそれと右から左へ流せば良いというわけにもいきません。
そんなシガラミを考えたときに、政治家の政治生命に最も影響が少ない原資になるのが国民全体から掠め取る『消費税』なのです。
たとえ消費税を上げたとしても、マスコミや国民がザワツキはするものの直接的に票が減るわけでもなく、個人の政治家、国会議員にとってはもっともダメージが少ない「当たり障りのない原資」になっているのが現実です。
事実、消費税が導入されてから現在まで、消費税による徴税額の増加と反比例して所得税や法人税の徴税額が目減りしていることが「選挙で勝つために税負担を各業界支援団体から国民個人負担に振り分け続けた」ことの証明になっていると読み取ることができます。
絶対に変わらない政治システム
ここまで述べたように、国会議員になり出世するためには党や支援団体への配慮が不可欠です。そして、そのシガラミの階段を着実に登りきったのが総理大臣であり、総理大臣はその力を持ってさらにシステムを強固にするために働きます。そうでなければすぐに引きずり降ろされてしまいますから。
では真に国民を向いた政治へ変革を遂げることは可能なのか。
これは残念ながら不可能だと言わざるを得ません。なぜなら、既存のシステムによって権力を得た国会議員が自らシステムを破壊再構築するということ自体が全くもって矛盾するからです。
なお、これは与野党関係なく起こってしまうパワーバランスです。政治システムを変えることを目指す野党があったとしても、その政党が議席を伸ばして権力を手にするまでには多くの支援団体に支えられることになり、多くの恩返しというシガラミに絡め取られて第二の自民党にしかなり得ないでしょう。
日本にトランプやゼレンスキーは生まれない
もしも恩返しの連鎖というシガラミが全く無い総理大臣が誕生したとしたら、きっと個人の理念に従って政治生命を掛けた、国民のための全力の舵取りを行ってくれるでしょう。
例えば直接民主主義として国民が大統領を選ぶことができる国では、政治経験のないトランプ前大統領やゼレンスキー大統領のような異色のトップが誕生することが実際にあります。ここでは彼らの功績が良いか悪いかの議論はしませんが、彼らは国民の信任によって選ばれ、直接的に国民を見て政治を行うことができます。そのためすくなくとも『大きな変革をもたらす可能性』を示す象徴にはなり得るでしょう。
が、彼らのような変革者が間接民主主義の日本で生まれる可能性は100%ありません。絶対に変わらない、変われない政治システムの大きな『欠点』が日本にはあるのです。