遅々として進まない教員の待遇改善に対して現役の教員らでつくる団体「給特法のこれからを考える有志の会」が記者会見を開き文科省の対応を批判した。
参照)「子どもたちが乗った船が沈む」 現職教員らが記者会見で訴え
定額働かせ放題
給特法についてザックリまとめると、教員の残業の対価はあらかじめ給与に組み込んで支給される4%の残業代のみで、何時間働いても時間換算で上乗せされることはないという法律。これでは流石に時代に則さないということで見直しを求める声が強くなる中、文科省は4%を10%に引き上げる案を検討しているが、それでは不充分だとさらに反感を買っている。
これらの現状を揶揄し「定額働かせ放題」ではないかと批判されているというのが給特法の現在地である。(かなり端折っての説明なので気になる詳細はググっていただきたい。)
なお、先に筆者の立ち位置を表明すると、教員の待遇改善は必須&急務であると考えている。というのも筆者の妻は現役教員で、子育てもままならないほどの残業と休日出勤の実情を間近で見てきたからだ。
ストライキという選択肢
冒頭に挙げた「給特法のこれからを考える有志の会」は改善ための提言をまとめ、署名を集め、抜本的な見直しを求める活動を続けている。
これらの活動が実れば、法律は改正され教員の待遇は変わっていくだろう。ただし、早くても数年後に、ということになるだろう。
もちろん続けていく意義のある活動であることは理解しているし応援もしているが、果たしてそれで充分なのだろうか。
もっと効果的な方法として、ストライキという選択肢はないのだろうか。
業務のすべてを今すぐ投げ出せとは決して思わないが、仕事が終わったかどうかに関わらず残業だけは絶対に断って帰宅する。仮にこれをノー残業ストライキとしてみよう。
業務を無理やりスリム化
生徒の学業、指導に関する業務が最優先で、これはなんとしても定時内に終わらせる。もちろん効果が薄く手間だけが嵩むような業務(無駄なノート添削など)はなるべく切り捨てて効率化する必要がある。またアウトソーシングで充分に賄える業務(テスト作りや採点)はどんどん外に投げる。長いだけの職員会議や古い慣習をなぞるだけの無駄なルーティーンワークは真っ先に切り捨てる。
そうやって「絶対に定時に帰る」方法を編み出し、教員同士で共有しながら強い意志でストライキを完遂する。
ここまで断行して初めて、管理者側は「定時内に出来る仕事の限界量」を知ることが出来るのである。現状のままでは「なんだかんだ言ってもなんとか出来ている」と思っている校長や教育委員会や自治体や政府の認識に火がつかない。
「我々の頃は苦労が当たり前だった」などという前時代的で懐古主義的な考えを強制的に変えるのだから多少の荒療治も已む無しである。
労働環境を整える責任は学校・政府側にある
教員の業務量に対してお互いの認識が揃う。これが極めて重要なスタートラインなのだ。
もしも業務を切り詰めすぎて弊害が出るのであれば、解決策は「人を増やす」か「相当額の残業代を出して残業してもらう」しかない。
それなのに、現状では「教員が自発的にサービス残業をする」という労働者側の善意に甘えてしまっている状況であり、教員側が「不満は言いつつもなんだかんだ背負ってしまっている」ことが自分の首を、ひいては生徒の首まで絞めていることにお互いが気づかなければならないのである。
もしもノー残業ストライキで生徒の成績が下がるようなら、もしくは生徒の親が文句を言ってくるようなら、それは充分な労働力を確保できず労働環境を整えられない管理者側が責任を負って解決策を模索するのが筋。
教員は真面目過ぎて、学校を、自治体を、そして政府を甘やかしてしまっているという自覚をいい加減持たなければならない。